比較と促進

人は比較する生き物であり、

比較することによって自己の成長を促す事ができる

 

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出会いから比較はしてた。

常識枠をベースにして考えれば、嫌でも自分に劣等感を感じてしまうので

距離を置いていた。


でも、常識枠という概念を外して

自分で自分を築き上げる、という考え方を理解したら

むしろ会うたびに、わくわくする対象になっていた。

「自分」の人生楽しんじゃってる人、だから。

 

距離が近づくにつれ、気づいたらどんどん視点がズレてきて、

わくわくする反面、自分が苦しくなってきた。

比較しちゃったんだな。元に戻ってしまった。

いや、自分の弱さを相手のせいにすり替えてしまった。


また、自分に引きずりこまれたらしい。

そんなときは!自分から一歩離れてみる。

 

「自分が変わろうと思って進んでいたはずなのに、停滞しているように見える。

けれど、それは螺旋階段の上階から見える景色であって

真横からみれば、少しずつ昇っているのだ」

 

そうそう、

私は少しずつ、着実に、前を歩んでいるのだ。

 

自分が望む「楽しむこと」を体験するために

今生にいるのだ。

私の「人生体験ツアー」、

ツアー名は「楽しむことを学ぶ」に参加中なのです。

 

なので。今一番楽しんでいることは。

大切な人と一緒に過ごす時間が何よりも楽しい!

 

人を好きになる気持ちを持つことが、こんなにもエネルギッシュで、

内側からどんどん力が溢れ出て、何をするにも楽しい、

そんな相手と一緒に会話をすることが楽しくってしょうがなくて、

一緒に料理をして、おいしいご飯を一緒に味わうことが嬉しい、

思いが重なった時が一瞬でもあれば、じんわり、深く拡がる、しあわせ。

 

それが今、自分が望む「楽しむこと」を味わうことなのであれば、

それが今、相手をとても大切だと思うことなのであれば、

相手の反応次第で、いちいち自分が傷つくことくらい、実はどうってことないのだ。

 

好きだと思う気持ちが大きくなればなるほど、

相手と違う部分が、よりハッキリ見えてくるのはしょうがないこと。

自分の思いと相手の思いの深さに差が出てしまうのもしょうがない。

毎度のことながら錯覚してしまうのだけれど、自分と他者は同じにはなれない。

 

その差異に気づいて、傷ついて本心から隠れて、相手から離れて行っても後悔しか残らない。

自分の受けた傷の大きさは、自分の受け取り方次第。

見方を変えればいいだけの話。

 

自分の受けた哀しみだけにフォーカスする方が楽ちんなんだよね。

「なんでわかってくれないんだ?」って相手のせいにできるから。

それって、他者を思いやる事を放棄して、停滞してるだけだ。

 

そうじゃなくて、そんな時こそ自分が相手にした対応を考え直してみて

相手をより思いやって、相手の立場から見える視点を考えてみる。

そして相手と自分の調和をはかれるようにどんどん試していけばいい

ダメだったらダメで、違ったアプローチをかければいい。

やり尽くして、それでも合わないようだったら

180度方向転換して、次に進もう。

 

それと同時にあの人以外に自分が楽しいと思えることを

どんどん探求していこう。

 

あの人がどんどん楽しんでいるから、触発されて前向きになれる。

そんな人と出会えた事が、本当に運がよかった。

そんな人種の人達ともっと出会って、彼らを通したフィルターから、

自分一人では発想できない楽しい事を発見したい。

映画のように。

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私の、今生における「人生体験ツアー」の内容は

「自分で選択する意思」により、あらゆるコースに変容し

選択基準はひとつに囚われず、「楽しいと思うこと」を

対象に合わせて柔軟に、しなやかに、伸びやかに全うすれば

それが望む未来への最善で最短の道なのだ。

 

自分が良いと思うものを選び、

自分が信じることを大切にして、

他の誰かの承認を求めることなく、

自分が思う幸せを味わっていくことで、

自分が心から望む日々をつくっていくことができる。

 

心の奥底から湧きあがってくるような喜びを、たくさん体験していこう。

色んな人と比較して、自分ももっと楽しみたい!という欲求をかきたてながら。

自分の人生、自分が楽しんだもの勝ち!