現状確認
大切な人のブログを発見して見てしまったものは
その人の日記を勝手に見る行為と一緒なのだろうか。
まぁ、一般公開されているのだから、見てしまったのはしょうがない。
ある程度予測はあったけれど、一緒に過ごした時間を
自分の存在を消され、創作して公開してあった事実は正直ショックである。
その程度の存在だったのだ、と改めて事実を突きつけられた。
※※※
私から見えるその人は自信に溢れ、目の前の事に対して楽しみながら、毎日を積み上げている。
ベースラインは似ているのに、発想の自由度、選択肢の多さ、超前向き思考と軽いフットワークに惹かれた。
しかしブログを辿ると、置かれている環境からくる悩み、
その時々で下さなければならない決断を迷い、後悔しながら、
でも丁寧に誠意をもって他者と交わり、
少しずつ、自分で「自信」を支えて、自分自身を積み上げてきたのだ。
確かに一般的に見たらタフネスに値するけれど、
あの人も、誰もが抱える、一人の弱い人間なのだ。
ブログを見ずとも、その人の性格と置かれている状況を鑑みれば、孤独だということはわかる。
その「自信」を支えるのは、一人ではしんどいのではないのかと。
本当は繊細な人なのに。
近くにいればいるほど、その繊細さが透けて見えて、どうにも放っておけなく、
疲れたら休憩しにくればいい、と受け止めてた。
どんどん距離が縮まってきて、一緒にいたい気持ちが強くなる一方で、
肝心の自分をさらけ出せないことに気づく。
…きっと、相手があの人でなくても「自分が惚れた人」に対しては、
最終的に同じ思いにたどり着くかもしれない。
「自分が惚れる人」=「“自分”の人生楽しんじゃってる人」
私にはそこまで没頭できる自分の世界観が確立されていないから、羨んで一歩引いてしまう。
本当は自分も同じ立ち位置で、お互いを応援しあって、笑い飛ばしあって、共に歩んでいきたいのに。
「自立ということは、依存を排除するのではなく、
必要な依存を受けいれ、自分がどれほど依存をしているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。
依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう。」
河合隼雄 著 「心の処方箋」より
本当に一緒にいたい相手なら、今のありのままの自分でいいんですけどね。
お互いの長所と短所が相互補完し、相互依存できるのが本当に望む関係。
なかなか、自分を開けない。弱いなー、自分。
そんな中、相手から見える自分の存在位置を改めて自覚したのですが。
近づいた、と思ってもそれは自分だけの思いだった。
近づきたいと思っても、歩み寄れない自分の気持ちも浮き彫りになってしまった。
人の心などわかるものではない。
相手を理解しているなんて錯覚しない。
でも相手を理解する努力は諦めない。
ある意味、お互い似た者同士。
急激には変えられないけれど、でも変わるように行動する。
今はそんな自分も相手も応援しよう。
苦しみも悲しみも楽しみのうち、と自分の中へ収斂していければいい。